「舶来品に負けない化粧品を作りたい」…中山太一の願いは外国人技師を招聘しその技術を得ることで実現していく。
最初に招聘したのは英国の化粧品技師P・L・スミス。
技術研究の主任として明治43年8月(1910年)に着任、日本人技師の養成にも重要な働きをするなどクラブ化粧品の基礎づくりに貢献した。
明治44年(1911年)に発売した「英国式クラブ美身クリーム」はスミスの主導で誕生した。
当時の広告では「日ヤケ止」「アレ止」を謳っている。
「クラブ美身クリーム」は一般的にはバニシングクリームと呼ばれるもので、脂肪酸を主原料としている。
“バニッシュ”とは”消えていく”という意味であり、肌につけたとき、とけこんで消えていくように見えるところからこう呼ばれるようになった。
上質のバニシングクリームには真珠のような光沢がある。
「クラブ美身クリーム」は今なお多くの愛用者にささえられ、販売を続けている大ロングセラー商品である。