明治43年4月3日(1910年)発売。
含鉛白粉による鉛中毒が取りざたされる中、「クラブ白粉」は発売当初より『無鉛』と『安全性』を大きく謳った。
さらにクラブ独特の『美身剤』を配合し、使用すると素肌に良いという現在のスキンケア感覚に通じる製品特性も加えた。
中山太一は白粉の発売とともに新しい化粧法(近代的化粧法)も積極的にアピールした。
“「クラブ白粉」を使用するとつき、のびがよいので厚薄思いのままにお化粧ができる”と訴えている。
当時の新聞広告には「クラブ白粉の薄化粧は高尚にして真に美麗なり…」とある。
クラブが推奨する化粧の手順は、クラブ独自の鉄道式と呼ばれる図解でも広く示された。
大正11年(1922年)には、「粉白粉」「水白粉」「打粉白粉」「刷白粉」「固煉白粉」「紙白粉」「美の素白粉」とクラブの白粉が勢揃いした。