創業者 中山太一

東洋の化粧品王、化粧品業界の巨星と呼ばれた中山太一は、明治14年(1881年)山口県豊浦郡滝部村に生まれた。
明治36年4月3日(1903年)、神戸市花隈町において洋品雑貨と化粧品の卸商「中山太陽堂」を創業。
謹厳実直な性格の太一は、「商品に偽りなきものは最後の勝利者なり」を信条とし、創業から3年後、製造業に転身をはかる。
外国人技師を招聘して開発にあたらせ、化学研究所や近代的化粧品工場を設立して独自の美身剤の開発や作業の能率化を図った。
中山太一はまた、広告王ともよばれ、新聞・雑誌はもちろん自動車や飛行機など、多彩かつ斬新な手法で日本の広告史にその名を留めている。
新しい化粧法の提案やクラブデーの開催など販売戦略のアイデアは尽きることがなかった。
その一方では、中山文化研究所を設立し、幅広いメセナ活動を実施した。