化粧品工場

大正7年4月(1918年)、大阪市南区水崎町690番地(後、浪速区水崎町40番地。
現在のJR環状線新今宮駅線路沿い)に中山太陽堂化粧品工場を竣工した。
敷地は約1875坪。
平屋建てで重厚な煉瓦造り。
日本の化粧品業界に初めて登場した本格的近代工場で、世界最高水準の生産設備を持ち、最新のコンベヤーシステムを採用していた。
コンベヤーは製造品目ごとにラインを区別し、それぞれ独自の調合室と包装仕上室につながっていた。
製品は無駄なく配備された工程を経て、送り出されていった。
これら能率的施設については、科学的管理法の権威上野陽一の指導を仰いだ。
施設だけでなく、従業員の作業の適正化を図り、ひとつひとつの作業そのものの改善、作業工程の標準化などすべてにおいて能率化を進めた。
この設備を中山太一は可能な限り一般に公開し、業界全体の製造技術の水準高揚に貢献した。